2013年10月
キューメーカーの巨匠Tad Kohara氏が永眠致しました
ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします
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TAD Cue |
メーカー名 |
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TAD |
製作者 |
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(故)Tad Kohara(父)
Fred Kohara(息子) |
開始年 |
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1963年〜 |
ショップ所在地 |
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Stanton, CA |
年産本数 |
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約 80本 |
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まだ自分が二十歳にもなっていなかった頃、東京で奥村さんが使っていたキュー、それがTadだった。
新宿の東口でトンカツ定食が330円、ゲーム代は1人1時間320円。そんな時にTad Cueは白ボーで7〜8万円位、ハギが入ると20万円という値段だった。もっともビンボー学生の自分には手が届くわけもなく、ただ日系の人がロサンゼルスでキューを作っている…、そんな話を耳にしたのを覚えている。今から40年も前のことである。
最初にTadさんと直にお会いしたのは、多分25,6年前のことだろうか。私は家内と娘2人を連れてロサンゼルスのディズニーランドのすぐそばにあったTadさんの工場へ突然おじゃまをした。当時は工場へ行けばキューを買えるものと思って行ったのだが、全然相手にされずで、その後も何度か行ったが一本も直に買ったことはない。TADキューにはきちんとディーラーがいたので、ディーラーを通して購入することが私のTADさんへの礼儀でもあった。 |
Tadさんは私が行く度に心を開いてくれて、一緒に食事をしてくれたり、いろいろとキュー作りについて教えてくれたり、いつも何かかにかを私の頭の中に残してくれた。キュー好きが高じてあちこちのメーカーに行ったけど、やはり日本語で教わる方がよーく頭に残るから、自分はTadさんのところへは随分お邪魔しましたね。
Tadさんが日本にいらした際には、仙台にも2、3度遊びに来てくれた。いつもお土産を持ってきてくれて、ごはんをご馳走してくれて、家族ぐるみで仲良くして頂いた。BCAのイベントでもどこでも会えば必ず何かしら話をしてくれ、いろんなことを教えてくれた。本当に優しくて素敵な方でした。
Tadさん、いつも暖かいお心配りをいただき、本当にありがとうございました。Tadさんは日本人の誇りです。安らかにお眠りください。 (By Lucky菱沼) |
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2003年7月 Tad Shop にて |
2004年11月東京にて |
2009年1月Ernieと訪問 |
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