Kersenbrock Custom Cue
カーセンブロック カスタムキュー
メーカー名
David Paul Kersenbrock
製作者
David Paul Kersenbrock
開始年
1972年〜 (1990-1996年 Omega D.P.K.)
ショップ所在地
Chicago. Illinois
Davidがキュー作りを始めたのは1972年のこと、ベトナム戦争より戻ってからのことであった。HarveyMartinのキューに強く影響を受けキュー作りの道に入ったのである。Davidの70年代のキューは一本一本がすべて違っていて、テーパーからデザインから実に様々な作品を残しているが、フラットフェイスのジョイントとプレイアビリティーを追い求めた姿勢はまさにHarveyMartinの流れをくむものにふさわしい。余談になるが、Davidは構造から作り方、テーパーなどを書物として残しているが、自分の知る限りキュー作りのものとしてはBarton Spainの書き残したものと双璧をなすものであろうと思う。
1985,6年頃かと思うが、私はあちこちのキューをオーダーしたものである。McDermott、Heubler、Joss、Vikingと数本ずつ買ってみたのが始まりだ。しかし私が最初に集めることにしたのは実はKersenbrockであった。サウスの先生というから絶対に良いだろうと思ったわけだ。当時はキューのコレクターなどいなかったので40〜50本をすぐに集めることができた。集めてみてわかったことは、Kersenはどれ一つとして同じ物はないということ。基本のスペックというものがなくてテーパーも重さもバランスもバラバラだった。自分の手に合うものは大変少なかった。特にしっくりきたのはウッドハンドルのソリッドキューで、今は岩手にいる友人のM君が持っている。
Kersenを集めてみて覚えたことは、シャフトの細いキューは買うもんじゃないということ。まず使えないし、再販も難しい。DPKを集め、そしてGusへ走ったというわけだ。
South West Cues
サウスウエスト
メーカー名
South West Cues
製作者
(Jerry Franklin,96年まで)
Laurie Franklin, Michael Bunker
開始年
1982年〜
ショップ所在地
Las Vegas, NV
製作中です。完成までお待ちください。
Padgett
パジェット
メーカー名
Padgett Cues
製作者
Tim Padgett
開始年
1983〜2009年
ショップ所在地
Pittsburgh, Pennsylvania
私の中でTimのキューはもう恋人のようである。外見の美しさ、打感、素材の使い方、こだわり…現在の自分のキュー作りに少なからず影響を及ぼしている、もしかすると一番かもしれない。だからこの若さで引退すると聞いた時にはとても残念な思いでいっぱいだった。
Timの作品を集め始めたのは90年代半ば、もう20年以上も経っているネ。
たくさんの人と予約金のことなどでトラブり、訴えられて悪評がたってしまった。私のオーダーもお金を払ったまま10年程忘れられていたが、ある時聞いてみたら思い出してくれてそれから何本も気持ちよく作ってくれた。私とはトラブルは全くなく、とてもクリーンだ。
LAの彼の工房は何の飾り気もなく、お客さん用のイスすらない、まさしく“工房”であったが、いつも綺麗に整理されていた。Tim PadgettCueはフロントとスリーブのデザインセンスはもちろん、ソリッドな打感のテーパー、銘木素材、20年以上経っても変わらない美しい仕上げに至るまで、バット、シャフトともに最高のものばかり。Timは商売人ではなかったかもしれないが、フラットフェースのキュー作りではもちろんNo,1!!確か可愛い美人の娘さんが2人だったかな?今も仲良く元気に暮らしていることを祈っています。Love
You, Tim!!
Paul Mottey
ポール モッティー
メーカー名
Mottey Cues
製作者
Paul Mottey
開始年
1983〜2009年
ショップ所在地
Pittsburgh, Pennsylvania
私とPaulは大変古くからの付き合いである。私が最初に彼のキューを手にしたのは1987年かな。全然腰の弱いキューで、細くて軽くて…18オンスもなかったと思う。だがとてもきれいだった。Paulのキューに興味を持ったのは、彼がSzambotiモデルを作っていたから。Gusとの違いを学ぶべく何本も買ったし、撞いてみた。余談だがPaulはハワイが好きで、私は彼と何度かハワイでばったり出会っている。
Paulは無口であまり話をしない。英語があまり得意でないということもあるのか、私とはほとんど会話が通じないのだが、会えば一生懸命話している。私はPaulのキューのコレクターである、それもアイボリーハンドルのキューの。Paulのキューのスクリムショウはサルマンラシディという人の作品で、大変に繊細なアーティストである。サルマンの作品(キュー以外)も少し集めていたけれど、3.11のドタバタで片づけの際に高価なキューケースなどと一緒に盗られて売られてしまった。売った人間も買った人間も把握しているが、まぁ、もうどうでも良いな…。
Paulにオーダーしているキューが1本あるが、もう25年程待っている(笑)いつか仕上がる時が来るのか…愉しみだね。
Schick
シック
メーカー名
Bill Schick Cue
製作者
Bill Schick
開始年
1971年〜
ショップ所在地
Shreveport, Louisiana
Billは若かった私に色々なことを教えてくれた人だ。“キューメーカー時間”とか、アメリカ人は約束を守らないといったことから、ジョイントのこと、シャフトのこと、革巻きも90年頃に一緒にした。驚いたのは、彼はそれまで一本も革を巻いたことがなくて、もちろん私もなかったのだが、巻いたのだ。もちろん今でもそのキューを大切に持っているよ、当然だ。
朝食はカッパコーヒー、ビスケッツアンドグレービー…。いつもジョージケースのマイクロバーツも一緒だった。彼らととる食事はとても辛くてね、メインディッシュだけでなくライスも何もすべて辛い!!とても食べらなかった。だから彼らが私に何を食べたいのか聞いてくると必ず「ステーキ!!」と答えたので、私の最初のニックネームは『ステーキマン』だった。それが滞在している間、色々とキューについて談義していて私が意見を言うと、何か意味があったのだろう、「ラッキー!」となった。私のニックネーム『Lucky』の名付け親はBill
Schickだ。Billyには私の意見から得るものが多かったのだと思う。「Lucky」には付き合う相手に幸運があると教えられた。
彼のキューはしばらく集めた、60本程かと思う。当時私自身は本当はGinacueも集めたかったのだけど…まぁこのあたりは縁だね。
Schrager
シュレーガー
メーカー名
Bert Schrager
製作者
Bert Schrager
開始年
1964〜2010年
ショップ所在地
North Holly-wood, California
私はBertのキューも結構集めた。やはり大阪の小杉さんのプレイキューがシュレーガーだったというのが頭にあってね。Bertの作品はとても個性的で良い。私の前には東京のA社がディーラーをしていたが、90年からはBertから1本も仕入れておらず、その代わりが私だったのだ。
A社はBertの手から「By Schrager」という金属のコテを1本持ち出していて、これが今もたくさん出回っているシュレーガーキューの真相である。Bertの遺作として私が持っている“Jaws”という名作も同様の物が何本も出回っているが、本物は私が直接Bertから手渡されたこの1本だけであることは記しておきたい。カスタムキューは同じ物は作らない。だから話は逸れるがGusのオクムラモデルの8剣なんて3本も存在するわけがない。もちろん本物は私が持っている。買う人の気持ちはまぁ理解できるが、手を出すべきではない。オッと、小杉さんのシュレーガーも私が持っていますよ。
Joss West
ジョスウエスト
メーカー名
Joss West Cues
製作者
Bill Stroud
開始年
1968年〜(1972年独立)
ショップ所在地
Ruidoso, NM(2005年閉鎖)
Bill Stroudはビリヤードの業界を語る時には必ず名前が挙がるべき人達のうちの一人である。2020年3月中旬に亡くなってしまった彼の業績についてはいずれ誰かが書くだろうから私は書かないでおこうと思う。
Joss West。
このキューを知らなければ、おそらく私はキュー作りをしていなかった。Bill Stroudの作ったキューは、1987年より前の物はコシが弱くて私の好みではなかった。14山のパイロテッドである。ところが1987年に彼のキューが台形ネジのキューに変わってからは、私はその打感にはまった。文字通りハマり狂ったのだ。87、88、89年と私は直接Billyにオーダーもした。オーダー以外でも、私と仲が良かったJ.
Wrightがディーラーをしていたのでたくさん購入したものである。
ところが、1990年の秋頃だったと思うが、突然台形ネジをやめてユニロックジョイントに移行し、そして間もなくより一体感があるというラジアルになったのだ。私は台形ネジの打感がとても気に入っていたので、台形ネジのキューの製作を何度か頼んだが作ってくれず、直接会った時にも何度も頼んだのだが結局それ以来作ってくれることはなかった。「現行の物がベストで、昔には戻りたくない…」そんな返事だった。この返事の理由は後に理解できるようになったが、あの頃は本当にわからなかった。彼は球を撞くというけど、それ程ではないのか…などと邪推したりしたものである。
ある時、2000年頃だったか、台形ネジ用のスペアシャフトを頼んだら1本800ドルだったらと言われ驚いた。ただの木のスロットのシャフトが800ドルである。どうしてそんなに高いのかと聞くと、彼はこう答えた。「今までたくさんのキューを作っている。1本400ドルだと死ぬまでずっとシャフトを作らなければならなくなる。だから800だ。」と。私の答えは「では、4本作ってくれ。(私は彼の答えがとても気に入ったわけだ。そして次に会う時にはもっと高値で言われそうだからね。)」Billyは驚いていたけれど、次に会った時にきちんと4本作って持って来てくれた。それも昔の木材で、しっかり目の積んだメープルシャフトだった。
私はBillyとの会話が好きで、ICCSについても随分と直接意見を述べたものである。ICCSのメンバー選定においても私を立てて相談してくれた。私の意見の半分は通って、半分は通らなかったね。BillはGinacueのErnieとは仲が良くなかったけれど、いつもメンバーに入れてくれたのはありがたかった。当時まったく無名だったManzinoも入れてもらった。ただ、BarryとTony(BlackBoar)は本人達が出たがらず、SearingとShowmanは持ち寄る作品がなかったことと本人たちが臆してブースを持つことはなかった。彼らのキューはデザイン性という意味では単調なのでコレクター受けもしなかった時代だったね。
BillyのShopへ行ったときのことを話そうか。
あれは最初のICCS、ニューメキシコのルイドソでのこと。かれのShopに入った時に感じたことは、このShopではもうキューを作っていないということであった。マシーンはあるけど…ソフトも動かして見せてくれるけれど…、でも肝心の木材の匂いが全然しない。あちこちの工場に行くと必ずする木の匂い、塗装の粉、そしてホコリ…、それらが全くないのは動いていないからで、まるで博物館のようであった。溶剤なども何もなかったね。
Billyは私がキュー作りを始めた大きなひとつの理由になった人である。私はJoss WestのキューもBill Stroudも大好きである。もう一度一緒に食事をしたかったなぁ、Billy!! (By
Lucky)
Balabushka
バラブシュカ
メーカー名
Balabushka
製作者
George Balabushka
開始年
1957〜1975年
製作中です。完成までお待ちください。
Mc Worter
マクウォーター
メーカー名
McWorter Custom Cues
製作者
Jerry McWorter
開始年
1989年〜
ショップ所在地
Ventura, California
Jerryは1990年頃からキュー作りを始めている。日本に持ち込まれたのは仙台に居たホリゴメ氏が最初で、私は彼から20本弱を購入した。当時の作品はストレートとハギだけのSWパターンのキューでさっぱり売れず、東京のT君に預けておいたらAプロとO氏が全部持って行ってしまった。もう30年近く前のことだからどうでも良いが…。
Jerryは他のアメリカ人と同様にキューデザインができない。だからJerryのキューは実はT. Wayneが作ったという話は知る人ぞ知る。キュー業界で「知る人ぞ知る」というのは結構あって、例えばフロリダのJ△△△ケースのほとんどの工程はケンタッキーの馬具(サドルメーカー)のRon
Rossが作っている。だから私はずっと扱わなかったわけであるが、もう引退したから話しても良いだろう。私はその工房でその人の手で作られている物が好きなのである。
JerryのShopはおそらく3回程訪問している。NCの機械を見て驚き、横ではステーキを焼きながらNCのマシンがずっと動いているのは内心ビミョーだったものである。優雅ではあるが、これがキュー作りなのか、と。
Jerryとはハワイでも話をした。彼の相談は、日本にキューを拡めるにはどうしたら…?であった。私は毎年日本にキューを直接持参して見せて廻れば良いとアドバイスした。日本のプレイヤー達は必ずそのことを嬉しく思い、買い続けてくれるよ、と教えたのである。
Jerryのキューの良いところは素材に尽きるね。ローズウッドバールはJerryの右に出る人はいないと思う。彼は球を撞くくせにシャフト材の良し悪しを見抜けないというか、総数を売りたいのでシャフト材にはこだわらなかったのだろう。J.
Franklinの末裔を名乗りながら、スレッドもピン素材も打感も全く違うものを作っているので話が合わないこともあったが、私とはずっと仲が良い、何でも話し合う。
手先が器用でマジシャンもするし、ドラムを叩けばスーパーだ。あちこちに才能があるが、もう50代も半ばだと思う。腰を据えてキューを作れるかどうかだね。Jerry、ファイト!!
Chudy
リチャード チュディー
メーカー名
Richard Chudy Custom Cues
製作者
Richard Chudy
開始年
1982年〜
ショップ所在地
California
Richardは私の好きなメーカーである。今でも年に1、2回程話をする。彼のキューのデザインは素敵だなと思う。ただ一本物ではないのが少し残念なところ。私のFeelingとしては、打感は少し重い気がする。
彼が日本に来た時、まずシャフト材を見せてもらった。そうして、なぜこの材なのか、なぜ同じリングなのか、なぜ…なぜ…、私の質問に困った顔をしていた。こんな質問をする人はきっといないのだろう。
私は今まで彼からTotalで70本程購入している。私の問いをきちんと考えてくれたならば…と残念に思うところはあるが、メーカーとしてはとても信用できる紳士である。ご夫婦の仲も大変良い。
Richard Black
リチャード ブラック
メーカー名
Richard Black Custom Crafted Cues
製作者
Richard Black
開始年
1974年〜
ショップ所在地
Texas
製作中です。完成までお待ちください。
Joss
ジョス
メーカー名
Joss Cues
製作者
Dan Janes Family
開始年
1968年〜
ショップ所在地
Towson, Maryland
製作中です。完成までお待ちください。
Bob Manzino
ボブ マンジーノ
メーカー名
Manzino Custom Cues
製作者
Bob Manzino
開始年
1994年〜
ショップ所在地
Frolida
製作中です。完成までお待ちください。
Lambros
ランブロス
メーカー名
Lambros
製作者
Mike Lambros
開始年
1990年〜
ショップ所在地
Baltimore, Maryland
製作中です。完成までお待ちください。
Dennis Searing
デニス スィアリング
メーカー名
Dennis Searing Custom Cues
製作者
Dennis Searing
開始年
1991年〜
ショップ所在地
Frolida
製作中です。完成までお待ちください。
Dayton
デイトン
メーカー名
Paul Dayton Cues
製作者
Paul Dayton
開始年
1991年〜
ショップ所在地
Frolida
『銘木博士』、『銘木おじいちゃん』として、たくさんの方々から親しまれたPaul。2018年9月に亡くなりましたが、晩年は愛する奥様の介護でキュー製作の時間はほとんどとれなかったそうです。
Paulが作るキューは今どきのきらびやかさはないけれど、木のぬくもりが溢れ、私達の心を癒してくれる、そんなキューである。CNCマシーンは使わずに昔ながらの製法で、ナイフで削り、ハギを組み、ベニアを重ね、地道に工程を重ねていくスタイルだ。自宅に併設されたShopはいつもきれいに整頓されていて、道具や素材がきちんと並んでいた。
Shopを訪れると彼はいつもやわらかい笑顔で迎えてくれ、必ず美味しいオレンジジュースをふるまってくれたね。彼の家から通りに出ると広大なオレンジ畑が広がっていていつもフレッシュな香りがしていた。
素敵な奥さんとの住まいには趣味の良いアンティークな家具が並び、Paulお手製のジュエリーボックスや小物達を奥さんが本当に嬉しそうに見せてくれた。奥様は教師をしていて忙しかったが、2人は本当に仲が良かったっけ、懐かしいな。
今でも日本国内で彼の作品はたくさんのプレイヤーを楽しませてくれている。もし彼の作品を見かけたら、是非じっくり見てみてほしい。木の美しさはもちろん、ジョイントキャップやリングなどもPaulらしい細工がある。ハンドメイドのぬくもりを是非感じてほしい。今のメーカーではあんなに作れる人はもういない、頑張ったネ、Paul!!
Samsara
サムサラ
メーカー名
Samsara Cues
製作者
Dave Doucette
Jim Stadum
開始年
1991年〜
ショップ所在地
Rugby, North Dakota
Samsaraは、物静かな性格のDaveと、ビジネスマンのJimの2人が製作していたが、Daveは数年前に引退。
キュー作りを始めた頃は、Daveは高級家具製作や機械製作の仕事を、Jimは建設関係の仕事をしながら1991〜93年の3年間で約70本のキューを作り上げた。2人のPoolへの情熱と、木工構造に関する知識や才能はこの頃から素晴らしいものだった。
その後自分たちのキューにふさわしいネーミングを考えていたある日、友人がそれとなく提案したのが“Samsara”。インディアンの言葉で様々な意味合いを持つ。例えば、「The cycle of life(輪廻転生のようなもの?)」「Striving to be the best」「Looking for the best」、つまり、ベストを求めて最後にたどり着くもの、といった意味合いだ。常に自分たちのベストを追い求め、楽しんでキュー製作をする彼らにまさにぴったりのネーミングだね。
2005年にJimと奥様のLaurieの故郷でもあるノースダコタへShopを移転している。土地も建物も大変広く、都会のストレスから解放されて最高にハッピーだと喜んでいた。私も2度訪れているが、大工場である。
Daveの作る主張あるキューと、Jimのビジネスセンス、2人はとても息の合う仲の良いパートナーである。JimはDaveと一緒に機械を作り出したり、システムの調整、新しいプロジェクトの開拓、取引先との交渉やExpoへ出向くことなどが主な仕事。もちろんキュー製作にも参加するが、製作に関してはDaveのワンマンショップといっても過言ではないだろう。私がShopを訪れた時は、デザイニングから製作までほとんどDaveがハンドリングして一日中機械の前で仕事をしていた。
Samsaraの独特な製作手法は“インターシャ”と呼ばれるもので、Daveは本から独学で勉強したものである。その手法を取り入れて生み出されたのが「Swirl」「Braid」「Fantail」「Spider
web」「Barrel」などの美しい曲線デザイン。これがSamsaraと一目でわかる主張あるデザインとなったわけである。
Judd
ジャッド
メーカー名
Judd Cues
製作者
Judd Fuller
開始年
1989年〜
ショップ所在地
Cororado
製作中です。完成までお待ちください。
Bender
ベンダー
メーカー名
Bender
製作者
Mike Bender
開始年
1992年〜
ショップ所在地
Alaska
Michael Benderは現在アラスカでキュー作りをしている。
私が彼に初めて会ったのは1989年、シカゴの彼の最初のShop、Omega d.p.kだった。その頃はまだキュー作りを始めたばかりで、スポンサーが付いてカーセンブロックに教えてもらうという恵まれた環境だった。奥さんのTracyがデザイン担当で、Mikeは複雑な作業やScrimshawの勉強をしていたのを覚えている。
Mike曰く“Luckyは僕の最初のお客さんの1人”だそうで、初めはその意味が全然わからなかった。私としては当時はOmegaはカーセンのShopだとばかり思っていたのだ。Mikeはストレートや5剣のキューが主で、複雑なのはKersenが行っていた、そんな気がする。名前もOmega
d.p.k(David Paul Kersenbrock)だったのだから無理も無い。
その後、1992年に独立してアラスカにShopをオープンした。それからは本当に順風満帆で、次々と15ポイント、20ポイント、25ポイント…と新しく、より緻密なデザインのキューを発表して皆を驚かせた。その中でも槍じり型のデザインは彼の代表モデルではないかと思う。デザインバランスが良く、オシャレである。
Cognoscenti
コグノセンティー
メーカー名
COGNOSCENTi
製作者
Joe Gold
開始年
1980年〜
ショップ所在地
Chicago. Illinois
CognoscentiはJoe Goldのワンマンショップであった。
G-10のジョイントピンと黒檀に大胆なインレイを入れたスタイルで、たくさんの人を魅了した。当社では元々取り扱っていなかったが、「Cognoはないか」「Cognoを探してほしい」という声が多く、Joeから仕入れるようになった。
Joeは大変気さくで気前が良く、Shopを訪れるといつも快く迎え入れてくれ、色々なことを教えてくれた。ガレージには趣味のバイクやレーシングカーが並び、キュー作りと趣味でいつも忙しく楽しそうだったね。
2000年代の前半、多い時は年間200本ぐらい作っていたように思う。ロゴデザイン、ディフィオリ、ダブルビジョンなど、ひと目でCognoscentiとわかるデザインで日本、アメリカ、中国でも人気を得た。
製作状況が変化したのか、2005年頃から品質が下がり、残念ながら当社では取り扱いを中止することになってしまったが、今でもCognoの愛用者は多く、当社でもスペアシャフトの製作依頼を受けることも多い。
McDaniel
マクダニエル
メーカー名
Mc Daniel Cue
製作者
Bill McDaniel
開始年
1974年〜
ショップ所在地
Tennessee
製作中です。完成までお待ちください。
Written by Lucky, 2021.